銘仙(めいせん)

明治 学習院の服装に採用

%e4%bc%8a%e5%8b%a2%e5%b4%8e%e7%b9%94%e7%89%a9%e5%90%8c%e6%a5%ad%e7%b5%84%e5%90%88明治時代銘仙は女学校の歴史とともに広がっていたと言われています。女学生達の服装(華やかな模様の振り袖)が華美になりすぎたことに苦慮した学習院の院長の乃木希典陸軍大将が伊勢崎織物同業組合(写真)の理事長に相談したことが発端でした。伊勢崎織物同業組合長の下条弥一郎が銘仙の「解し絣」という模様を発明しそれが学習院の服装に採用されたのです。女学生に愛用された銘仙は、明治五年の学制公布以降、相次いだ女学校の設立と共に大きく発展して行きました。

大正・昭和 流行の先端

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大正時代にはいると、関東を本場とする銘仙の特徴ある色彩が新しいジャンルを確立していきました。震災後は急激に、ジャズ、カフェー、ダンスホールなどアメリカの享楽的文化が都会に広がりました。庶民的で親しみやすい銘仙がこの頃は流行の先端を担い、「御召」の領域にも進出し高級なものも作る様になって行きました。

昭和の初め頃は、社会的不況から退廃的な風潮が生まれ、カフェーやバーがにぎわう様になりました。そこで働く女の人たちが流行を作る存在になり、彼女たちが斬新な銘仙柄を競って身につけ、派手な銘仙柄が量産されたそうです。あまりの銘仙の流行ぶりに、村山大島が銘仙風の新柄を作り、それが本場大島紬に影響し、伝統の大島紬にも大柄や飛柄が生まれるという状況になりました。

昭和7年頃からは銘仙に金銀糸の織り込みが入ったり、銀座を歩くモガたちの派手な縞銘仙にショールにパラソルという装いが流行の先端を行くなど銘仙の最盛期でした。この頃足利銘仙は女優の田中絹代、及川道子、市川春代などをポスターに器用するほどの力の入れようでした。終戦後はアメリカの西海岸からに広がっていたアメリカン・デコの影響を受けた文化が広がり、戦前の大柄で明るいデカダンな調子がそのまま引き継がれた銘仙は接客業の女性などの一部から極端に派手な柄の銘仙が求められました。

昭和28年の駐留軍の帰米を期に、国の再興のために新しい産業や文化をどん欲に取り入れていくという風潮になり、その中で銘仙もこれまでに見られなかった新様のデザインで第三期(最後の)黄金期を迎えます。この頃の銘仙は最新のアメリカン・デコを取り入れ、モダンで開放的、軽快でリズミカルなデザインの銘仙が作られていきました。

モリエトウキョウの銘仙コート

銘仙(めいせん)

女性の社会進出と共に歩んで来た銘仙。

モリエトウキョウのデザイナー山田百里恵は銘仙が大好きです。その伸びやかな自由な明るいテイストを活かしたデザインで皆様に銘仙のよさを感じて頂けたら幸いです。

冬のお出かけに、元気な女性達と共に歩んで来た銘仙の生地に綿を入れたコートなどいかがでしょうか?銘仙は見た目と違い、大変軽くて、お召しになると気持ちがとても優しくなります。モリエトウキョウの人気のロングセラーアイテムです。心も身体も暖まる銘仙のコートを是非お試し下さい。